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自身の経験から「防災」を考え直す。NPO法人すえひろ、五十嵐さんの活動インタビュー

突然ですが、皆さんは防災について考えたことがありますか?「防災」と聞くと何を想像し、どのように感じますか?

今回はNPO法人すえひろという防災活動を広める団体で活動されている五十嵐浩子さんに活動を始めた経緯や内容をお聞きました。五十嵐浩子さんは福島県浪江町出身で、2011年3月の震災を機に高山市へ移住してきました。震災当時のことや防災活動を通じて何を伝えていきたいのか、心境を伺いました!

 

1, 高山市との出会い

家族が安心して暮らせることを考えて、この場所を選びました

―高山市に引越しをしてきたとのことですが、どのような経緯でこの地域を知ったんですか?

私は福島県の浪江町出身です。2011年の震災後原発事故の影響でもともと住んでいた家を出ることになりました。福島県内の学校の体育館や民宿などを転々としながら避難生活をしていましたが、安定しない不安な生活は自分にも子どもにも良くないと思い、その年の5月に県外へ出ることを決めました。その時に避難のために借りられる家をインターネットで検索し、条件に合っていたのが高山市の物件でした。高山市の被災支援の制度も利用し、とりあえず一年間高山市で生活をするために引っ越してきました。時間が経って震災の状況が詳しく分かってきてから、地元に戻ることは難しいんだということを理解しました。避難のために借りていた家の契約が終了するタイミングで高山市以外の他の地域に引っ越すことも考えましたが、息子が「自分の地元は高山市だから」といったのが決め手となってずっと暮らしていくことを決断しました。

震災直後に撮影されたお写真
地震で壁が倒壊したカラオケ店
地震により一階が潰れた店舗
 

2、NPO法人すえひろの活動に関して

「震災の事を話す、防災について伝える」自分たちができることを地域に返したい

―NPO法人すえひろでの活動を始めるようになったきっかけは何でしたか?

震災があった直後から高山市の行政は避難受入れや被災者の生活支援にとても積極的で、様々な情報を入手したり人と交流をしたりするために行政の制度をよく利用していました。その時に市役所が企画・主催をし、避難してきた人たちの交流会を開いてくれたのが今の活動メンバーとの最初の出会いです。その交流会は定期的に開催されていて、遠く離れた地域で似た境遇や地域の人と出会えたことは安心感に繋がりました。そのメンバーと、これだけの支援制度を整えてもらって自分たちにはどんなお返しができるか、と考えた時に「じゃあ自分たちが経験してきたことを話し、防災に繋げてもらおう」と話合い、今の団体が出来上がりました。それが震災のあった約半年後の頃です。しばらく活動を続けるうちに活動人数も増えてきて、2018年から正式にNPOとして活動するようになりました。

―NPO法人すえひろの具体的な活動内容を教えてください!

活動は主に個人で、セミナーやイベントなどでの講演会をしたり、防災グッズの紹介をしたり、「防災」について色々なことを伝えていくことです。季節の変わり目など定期的に団体のメンバーと集まって近況報告や情報交換もしています。また、私自身は関わっていないですが、団体のメンバーには何かあった時のための栄養食として、キヌアやレンコンの栽培をしている人もいます。ちょっとした集まりでも、同じ言葉を話す人や似た文化を持った人と話ができる環境はとても貴重ですし、安心できる場所になります。

下呂市尾崎小学校での講演会の様子

―他の団体さんと一緒にイベント企画をしていることも多い印象がありますが、なにかきっかけや目的があるのですか?

 ありがたいことに色々な団体さんから講演のお話をいただくので、防災について伝えられる機会があればできるだけ参加するようにしています。「防災」ってどんな団体とでも組めるんですよ。生き物や生活に関わるものすべて防災というワードに繋がるので。

ペットの防災に関しては自分が体験したこともあって、最近特に力を入れています。東日本の震災の時、私も自分のペットを連れて非難することができなくて。数日で帰れると思っていたし、震災などの非常事態の時ほど人間本位になってしまうものですし。その時、他の地域から来ていた動物愛護の団体さんにはとてもお世話になったので、自分もそういう動物愛護に関わる活動がしたいと思うようになり、アニマルレスキューさんの活動に参加したり、ペットの防災意識について考えるイベントを開いたりしました。

 

3、思い出のエピソード

伝えてきたことが役に立ったと実感した瞬間でした!

―活動をしている中で印象的な出会いや思い出に残っているエピソードはありますか?

 今までの事で思い出に残っていることはたくさんあります。ここ最近だと2018年7月の豪雨被害の時のことが特に印象に残っています。被害があった下呂市金山地区は定期的に防災の講演を行っていた地域で、豪雨の被害があった時にも住民の人と連絡を取っていました。実際に災害が起きてしまうとその場所へ行ったり物を届けたりするのってすごく難しくて、私も高山市から無事を祈る事しかできなかったんですけど、金山地区の人たちが「浩子ちゃんからいつも聞いてたから大丈夫だよ」って仰ってくれて。その時は活動をしていて良かったなと思いましたし、こういう時のためにこれからも続けていかなければならないなと感じました。

 

4, これからの活動目標

「防災を日常に」がキーワードです!

―これからの活動目標はありますか?

第一にこれからもこの活動を続けていくこと。そして、防災を日常の中に取り入れてもらうことです。例えば生活をする中で買い物をするじゃないですか。その時に家にある備品ストックを把握して管理できる状態にしてあったり何かあった時のためにちょっとした非常食を余分に買っていたり、実はそういう日常の生活の延長線上に「防災」があるんですよね。「防災」って聞くとすごいこと、意識が高いことのように思われがちなんですけど、実際はそんなことなくて、それを知ってもらいたいし広めていきたいと思っています。

私が防災の活動をするようになったのは、東北の震災後、高山に住むようになってからです。私も被災する前は「原発は安全なものだから大丈夫」「この地域は地盤が固いから大丈夫」と確証のない自信を持っていました。大きな災害を経験していない世代や地域には共通して言えることだと思いますが、高山市もそういった認識の強い地域ではないかと思っています。でも、大丈夫な保障なんてどこにもないんですよね、私自身もそうだったから。だからこそ、たくさんの人に震災を身近なものとして考えてほしいと思っていますし、何かあった時のための準備をしていてほしいと思っています。


インターン生 都竹清花さんが手がけたインタビュー記事

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都竹清花